story:Volume:11 「終わりと始まり〜2」
2018.10.26
トモの地元、福井の鯖江にはとんでもない人数の仲間たちが全国から押し寄せた。
地元はもちろん、沖縄や東京時代の仲間に大工やツリーハウスの先輩、後輩・・・・
これほど多くの仲間たちに愛されていたヤツだったんだと、今更ながらに驚かされた。
自分が死んだ時、一体どれだけの人が悲しんでくれるんだろう・・・?
そんなことが、ふと頭をよぎった。
東京に戻り、それからしばらくは何もせずに過ごした。
ダメだとはわかっていても、仕事は全く手につかなかった。
トモを失ってからひと月ほどが過ぎ、表面的には少しずつ日常を取り戻しつつあったある日、仲間からの連絡があった。
トモの四十九日にヤツの最後の現場となった「toco」というゲストハウスに仲間たちが集まるというお知らせだった。
トモの最後の現場を見ておきたくて、その夜、tocoのある上野に向かう。
古い日本家屋の古民家を見事に改装したゲストハウス。
トモの「らしい」仕事の面影と、途中からその現場を引き継いだ仲間や先輩たちの「想い」が詰まった見事な仕上がりだった。
その当時の話はこちらにも詳しい。「toco.」からスタートしたバックパッカーズジャパン。最高に素敵なゲストハウスを作り続けるチーム。
http://backpackersjapan.co.jp/blog/archives/4304
見慣れた顔、初めての顔、トモという結びつきで、その仲間が一堂に会した。
それぞれの思い出を語り、酒を飲み、笑いあい、涙して、初めて会う仲間や先輩たちともすぐに打ち解けることができた。
そんな中、1つの話が持ち上がった。
「あの夜、トモがみんなの前で『俺はそのうち沖縄に自分がデザインしたツリーハウスを作りたい』そんな話をしてた」
「だから、アイツが棟梁を務めた沖縄のビレッジにみんなでツリーハウスを作らないか?」
仲間のあまりにも突然の死。
それをすぐには受け止めきれない、そのやり場のない想いは、多分みんな一緒だったんだと思う。
それを乗り越えるために、次に進むために「何か」をしたかった。せずにはいられなかった。
話はその場で決まった。
「沖縄で祭りをやろう!」
日時はトモが好きだったアントニオ猪木の「1、2、3、ダァー!」にちなんで12月3日。
場所は沖縄ビーチロックビレッジ。
祭りの名前は「トモ祭り」。
そしてツリーハウスの名前は「吉田屋」と名付けられた。
仕事を持った大の大人が約2週間沖縄に滞在しツリーハウスを作り上げた。
その間、大工ではない自分はといえば、東京で大工チームの皆が着るためのTシャツ作りや追悼の映像作りに明け暮れた。
そして映像を携え沖縄ビーチロックビレッジに向かう。
久しぶりに訪れた沖縄。
その昔このビレッジ作りにデザイナーとして参加し、3年ほど沖縄で過ごした。
そこでトモと出会い、仲間として濃い時間を共に過ごした懐かしの土地・・・
ツリーハウスが仕上がる直前の数日間はトモの大工の仲間や先輩、後輩たちと一緒に過ごした。
昼間は祭りの準備をしながら、ツリーハウスの仕上げの作業を眺めた。
「せっかくだから登ってみなよ」と言われて(笑いとともに半ば強制的に)登ったツリーハウスの屋根の上は、素晴らしい景色で・・・と、言いたいところだけど、高所恐怖症の僕にとってはぶっちゃけ景色どころでは・・・
でも、虫のように屋根にへばりつきながら「チラッと」だけ見たその風景・・・
ツリーハウスビルダーが見る風景を、この時初めて見た気がした。
よくもまぁ、こんな高いところに、凄い家を作るもんだ・・・・
そして夜は、毎晩のように、飲んだ。
いくら話しても、思い出話は尽きなかった。
トモの生前の一言。そしてヤツが繋いだ不思議な「縁」だった。
何もなく、そのまんま生きていたら、きっとなかなか出会うことなかった人たちと出会い、繋がった。
「自分の理想の空間を作ってみよう」
そう思い立ったときに、頭に浮かんだ唯一の大工。
その仲間や先輩、後輩たちが、目の前で笑っていた。
この人たちとなら・・・
12月3日。沖縄の夜。
灯りのともったツリーハウス「吉田屋」の下で、
皆で盛大に飲んで、涙した。
生きているうちに、何ひとつアイツにしてやれなかった・・・
その後悔をほんの少しだけ沖縄に置いて、東京に帰った。
あの夜が、1つの終わりで、1つの始まりだった。