%e7%b2%be%e7%a5%9e%e3%81%a8%e6%99%82%e3%81%ae%e9%83%a8%e5%b1%8b:Volume:04 「バランス」を大事に生きてみたけれど・・・ その2
2019.12.3
お店を始め、その猛烈な大変さから他人の顔色を伺いながらバランスを取る余裕を失ったことで、偶然にも見つけた人との心地よい関わり方。
それは「誰からも好かれるように」なんて他人の顔色を伺って一生懸命に立ち振る舞ったところで、結局のところ、本当の意味での「友達」なんてできないってことだ。
目の前にいるその相手は「あなた(自分)」のことを聞かせて欲しいんだ。
何が好きで、何が嫌いなのかを知りたいんだ。
何が得意で、何が苦手か?
どんなことに興味があって、何をしようとしている人なのかを知りたいんだ。
要は、肩書きなど関係なく、あなたが「何者なのか?」を知りたいから。
だって、それをお互いに見せ合って、伝え合わない限り、互いが「この人は自分に合うのか?合わないのか?」という判断すらできないから・・・
「バランス」を取っているつもりだった中高生の頃の「空気が読める子」だった僕は、誰にも、何にも「自分のこと」を伝えなかった。
だから、相手にとって僕は「好きなのか嫌いなのかもわからないフツウの人」だったんだと思う。
自分が伝えないから相手も伝えてくれない。わからない。
だから、僕にとってもまわりのみんなは「好きなのか嫌いなのかもわからないフツウの人」だったんだと思う。
誰からも好かれようとすると、結局、誰からも好かれない。
誰からも嫌われないように、必死に愛想を振舞いても、結局、誰からも好かれない。
自分のことを伝えれば、相手のこともわかる。
それがわかると、そこに「合う、合わない」の判断や「好き、好きじゃない」の感情が生まれる。
「誰からも」を手放すことで、「合う人」と「会わない人」がハッキリとわかる。
「好きな人」と「好きではない人」がハッキリとわかる。
大切なのは、この「ハッキリさせること」を恐れないことなんだと思う。
犬や猫と同じように、人間にだっていろんなタイプの、いろんな種類の人間がいて、やはりそこには同じように「合う、合わない」がある。
多くの人と出会いを重ねていく中で、自分と「合わない人」は実際に、いる。
というか、むしろ合わない人の方がはるかに多い。僕の場合。
でも、勘違いして欲しくないのは「合わない人=嫌いな人」ではないということ。
全然気が合わない人、ちょっと気が合わない人、ちょっと気が合う人、すごい気が合う人・・・いろいろいるけれど。
人はそれぞれみんな違う。違って当然。合わなくて当然なんだ。
自分と違うこと、誰かと違うこと、世間と違うこと・・・それは善でも悪でも、どっちでもない。普通のこと。自然なこと。
だから、違いを恐れる必要なんてない。嫌う必要なんてない。
合う人とはそこで手を取り合って共に歩めばいいし、合わない人とはその場ですれ違い、また新たな出会い待てばいい。
「誰からも」にしがみつくのはやめにしよう。
自分と相手、その関係がぼやけてしまうから。
「誰からも」を手放すことで、誰からも好かれることはきっとなくなる。
でも、その代わりに、「誰よりも好きな人」が必ず見つかると思うから。
「誰からも嫌われない」ことよりも、「誰よりも自分のことを愛してくれる人」や「誰よりも好きな人」が1人でもいる方が僕は幸せだと思うから。
そんな相手を見つけるために、まずは、恐れず「自分」を伝えてみる。出してみる。合わなくたって、そんなのへっちゃら。それが普通。むしろ合う人に出会えれば超ラッキー。また1人、楽しい旅の相棒が増える。
そうやって、少しずつ、1人ずつ・・・
人生を共に歩む相棒はそれほどたくさんいなくたっていい。
100人の「知人」より1人の「相棒」。
そっちの方が人生は何倍も楽しめると思うから。
「バランス」の話とは、少し逸れてしまったけれど・・・・
つづく