%e7%b2%be%e7%a5%9e%e3%81%a8%e6%99%82%e3%81%ae%e9%83%a8%e5%b1%8b:Volume:05 「バランス」を大事に生きてみたけれど・・・ その3
2019.12.4
さて、肝心のバランスのお話。
僕自身の、相手の顔色を伺うことで一生懸命バランスを取ってみた挙句にどうにもうまくいかなかった経験から言うと・・・
人間関係においての「バランス」とはどちらかの人間が「相手に合わせて」とるものではないんだと思う。
20歳の頃から色々な人と「チーム」を組んで、お店や出版社や色々なプロジェクトをやってきてつくづく思うのは、人間関係って、ほんと「パズル」のようなものだな、ということ。
人と人。それぞれ形の違うピースが組み合わさって「人間関係」はできている。
恋愛や家族のように2つや少数のピースで構成される人間関係もあれば、グループやクラス、会社や団体といったたくさんのピースによって構成される人間関係もあるけれど、ピースの数や完成する絵の大きさは違っても、パズルの基本はかわらない。きちんとハマるべきピース同士を繋げていかないと、最終的に1つの絵は完成しない。
人間にもやっぱり、パズルのピースのように凸(デッパリ)と凹(ヘコミ)があって、それは言い換えれば「好き、嫌い」や「得意、不得意」だったり、性別や人種、年齢や体格などありとあらゆる「違い」を持って、一人一人が本来「オリジナルのピース」として生きている。
このピース同士がピタリとハマると恋愛でも仕事でも、ものすごく人間関係が気持ち良い=うまくいく。
でも実際は・・・・このピース同士がうまくはまらず苦労することの方が多い。
それはなぜなんだろう・・・?
その原因はきっと、「誰からも嫌われないように」という気持ちや「空気を読む」や「その場に、人に合わせる」といった気持ち。その気持ちが本来の自分を抑え込み、ハマらないピースに無理やり自分をハメこもうとしてその「姿を変える」から。
「自分」ではなく「相手」を基準にして、それに合わせるために自分の姿を変え、無理やりハメこんだピースは一見ハマったように見えても、やはりどこかでひずみを生み、さらに本来その場所にハマるはずだったピースは行き場を失い、止むを得ずまた別のピースに姿を変えて・・・という悪循環が生まれ、結局その絵はいつまでも完成しない=人間関係も仕事もうまくいかない・・・という結果になるんだと思う。
自分という人間の凸(デッパリ)と凹(ヘコミ)。
そのピースの形は時と共に、色々な経験を経て少しずつ変わっていくものだと思うけれど、その時々で、必ずハマる人、ハマる場所がある。
大切なのは、その場所に、その人に合わせて自分の姿を「変えない」ことだと思う。
人間関係はパズルみたいなもの。
だからはハマらないピース同士が一緒にいても、ハマらないピース同士を無理やり押し込んで繋げても、どっちにしたってその絵は完成しないから。
誰かに合わせて自分の姿を変えず、本来の自分を相手にしっかりと見せることができれば、人間同士のピースは自然とキレイにハマっていく。
それは自分の「強い部分/得意なこと」を見せるだけじゃなく、自分の「弱い部分/苦手な部分」も同時に見せるということ。
きっとこの「自分の弱さを見せる」というのが難しいのかもしれないけれど・・・自分という人間の凸(デッパリ)と凹(ヘコミ)、この両方を見せないと、やっぱりピースはキッチリとハマらないから・・・
「強さ/得意」も「弱さ/苦手」も合わせて、その形がハッキリと相手に伝わることで、初めてパズルのようにお互いのデッパリとヘコミを噛み合わせ、埋め合うような関係ができてくる。
自分の得意や苦手を素直に見せれたら、その部分を誰かが埋めることができる。
相手の得意や苦手がわかったら、自分がその部分を埋めてあげることができる。
自分の苦手は誰かの得意で、自分の得意は誰かの苦手だったりする。
自分の凹は誰かの凸だったりする。
誰かの苦手を自分の得意で埋めてあげるのは「自分の方が優れているから」じゃない。
自分の苦手を相手が埋めてくれるのは「自分の方が劣っているから」じゃない。
人それぞれに「得意、不得意」があって、それがその人の持つピースの「カタチ」だから。
気持ち良い人間関係は「優劣」や「上下」からは生まれない。
だから、自分の凹みを必死になって埋める必要なんてない。
自分の凸を無理に大きく見せる必要もない。
強がらず、卑屈にならず、そのままを。
自分の「弱さ」を見せることで、人は弱くならない。
自分の「弱さ」を見せることで、むしろ強くなる。僕はそう思う。
だって「自分の弱さ/苦手」を誰かが埋めてくれたなら、自分はそれを手放して「強さ/得意」をもっともっと伸ばすことができるから。もっと強くなれるから。
だって今まで必死に弱さを隠すために使っていた力を、時間を、今度は強さ(得意なこと)をよりを伸ばすことに使えるから。だからもっと成長する、輝ける。
輝けると、活躍できると、どんどん嬉しくなる。その満足感や達成感が次第に心に余裕を生む。
なんだかんだ言っても、人は自分が幸せにならないと、人にも優しくできない。
自分の心が満足すると、次第に相手のことを思いやれるようになる。自分の「弱み/苦手な部分」を埋めてくれる相手に対しての「感謝の気持ち」が生まれる。
感謝の気持ちが「ありがとう」になり、その「ありがとう」が、今度は相手の満足感や達成感になっていく。そしてそれが新たな「ありがとうを」を生み・・・・そこに気持ち良い人間関係が生まれ、1つの大きな絵が生まれる。
人間同士の凸(デッパリ)と凹(ヘコミ)、このピースがピタッとハマると、この満足感や達成感、感謝の気持ち、ありがとうがどこまでも繋がって、広がっていく。
ピタッとピースがハマる感覚、それが自分の「居場所」に自分が「居る」という感覚や「誰かの役に立っている」という感覚、それは言い換えれば「自分の存在意義」のようなものなんだと思う。
だから・・・
強くなるために、恐れずに弱さを見せる。
弱さを見せるために、まずは自分の弱さを受け入れてみる。
強さや弱さは「優劣」じゃなくて、ただの「カタチ」。
そのカタチを誰にも伝えなければ、誰もそこにハマることができない。
自分本来のカタチを無理やり変えてしまったら、自分が収まるべきでないそのピースは、そもそも自分の「居場所」ではなくて、そこにピタッと収まる「誰か」の居場所なんなんだから・・・
人間関係の「バランス」はきっと、どちらか一方が「合わせる」ことでは取れないんだと思う。
それは「合わせる」ものじゃなくて、自然と「合う」もの。
自分の持つ「強み」だけじゃなく、「弱み」も同時に見せ合うことで、お互いに相手のカタチをよく理解し、補完し合うこと。
そのお互いに「補完し合う関係」が、人間関係における「バランス」なんじゃないかなと思う。
補完し合うことは決してお互いの「穴埋め(マイナスを埋め合うこと)」ではない。
自分の「苦手」なヘコミには、誰かの「得意」なデッパリがおさまり、
相手の「苦手」なヘコミには、自分の「得意」なデッパリがおさまる。
お互いの「弱み」をお互いの「強み」で補完し合うとことができると、結果的にそのパワーは何倍にもなる。
1人でできることには、やはり限界がある。
1人ではできないことも仲間とならできる、チームでならできる。
僕はそんな部分に、魅力を感じる。
「気持ち良い」と感じる場所が、自分の居場所。
今いるその場所に、もしも「居心地の悪さ」を感じるのなら、今おさまっているその場所は、そのピースは、本来自分がハマるべき場所ではないんだと思う。
その時は、自分のカタチを変えて、無理やりその場所におさまるよりも、自分のままの形で、しっくりと、ピタリとおさまれる場所を新たに探した方が良いと思う。
それは自分自身にとっても、チームに取っても。
石の上にも・・・・なんて諺もあるけれど、
それは、(しっくりとくる)石の上にも・・・という話だ。
継続すること、コツコツと積み上げていくこと、それは確かに非常に重要で、何かを成し遂げるための1つの大きな「鍵」だと思うけれど、そこにはいつも「好きなことを」「得意なことを」なんて言葉がセットでついてくるはずだ。
ピース違いの石の上に何年いたって、心が病むだけで、成長も活躍もできない。
自分がピタリとハマるピースを探すために、仕事を変えること、チームを変えること、人間関係を解消することは決して「悪いこと」ではなく、むしろ自然なことだと思う。
慌てず、騒がず、恐れずに。
自分の持つピースがハマる「その場所」をあきらめずに探してみてはいかがでしょうか?