%e7%b2%be%e7%a5%9e%e3%81%a8%e6%99%82%e3%81%ae%e9%83%a8%e5%b1%8b:Volume:08 Who am I ?
2019.12.9
自分のこと・・・好きですか?
自分のことを好きになるって、本当に難しい。
僕もほんと、数年前まで、自分のことが大嫌いで・・・自分を許せずにいた気がします。
「〜〜らしく」いたいけれど、そうなりきれない自分。
誰かすごい人を見て「こんな風になりたいな」と思うけれど、そうなれない自分・・・俺って、ほんと、なんてダメなヤツなんだろう・・・
でもいつからだろう・・・?
なんだか、自分を許せるようになったというか、愛せるようになったというか。
それは「ああ、俺ってこういう人間なんだな」って、ネガティブな感じでもポジティブな感じでもなく、いつの間にか「そのまんま」受け入れられるようになったんですよね。
それって何が原因なんだろう・・・?
何がきっかけなんだろう?
長年デザイナーをやって、出版をやって、ついに自分の理想としてた空間ができて、お店を始めて・・・・
僕はオーナーであり、当然リーダーであり、集めたスタッフの仲間たちは皆、自分より年下で。
当然かもしれないけれど、僕も知らず知らずのうちに「リーダーらしい自分」を一生懸命演じていて。
僕がそんな態度だから、当然みんなもそういう風に接してくるわけで、最初のうちは、僕はいわゆる「オーナー」らしいというか、現場から少し距離をおいて、上から下へ司令を出すような、そんな感じでした。
それに特に疑問を持つこともなく、僕は2階の工房でモノづくりをはじめ、革細工に明け暮れて。
ある日、「お、これはイイぞ!」と思う財布ができた時、ふと「誰かに見てもらいたい」という気持ちが湧いてきた。
でも、最初はオーナーとしてのプライドか、素直に「これ見て見て!」なんてカッコ悪くて言えずに、そっと販売コーナーの棚に置いて「誰か気づいてくれないかな・・・」なんて、思ってた。
でも、そんな自分の気持ちにふと気が付いた瞬間、
「あぁ、俺って、自分が作ったものをみんなにすごく見て欲しい人なんだ」って、
自分の知らなかった一面を初めて知ったような気がして、ちょっと驚いた。
「自分の作ったモノを見て、誰かが反応してくれること」それが自分がモノを作るモチベーションの「根っこ」にあることに気がついた。
作ったモノを母親に見せて褒めてもらいたかった子供の頃から、モチベーションの源泉は全く変わってないんだなぁ・・・っと思って、ちょっとおかしかった。
同時に、「オーナーらしい、リーダーらしい自分」を自分自身が一生懸命演じていたこと。そして、その「らしくいようとする気持ち」が自分の素直な気持ちを押さえつけ、それに息苦しさを感じていることに気がついた。
だから、少し恥ずかしかったけれど、思い切って素直にみんなに「ねぇねぇ、これ作ったんだけど、見てよ」って言ってみた。
すごく簡単なことだったけれど、この一言は、僕にとってはすごく大きくて。
この一言で、僕は自分が演じてきた「らしさ」から解放された気がする。
「らしさ」を意識するあまり、縛られるあまり、「ねぇ、見てよ」って、そんな簡単な一言すら素直に言えなくなっていた自分・・・・
すごく単純な話で、ただ、自分の「本当の気持ち」をまずは自分自身が意識して、聞いてあげる、ということ。だって、自分の「本当の気持ち」は自分にしかわからないことが多いから。
そしてその気持ちを、最初は恥ずかしいかもしれないけれど、思い切って外に出してみるということだった。
それは実際にやってみると、心配してたより簡単なことだった。
でも、それをきっかけに、スタッフのみんなとの距離は急速に縮まった。
僕自身が「オーナー」としてではなく「自分自身の気持ち」を素直に表現するようになったから。
僕のみんなへの態度は、決して一般的には「オーナーらしく」も「リーダらしく」もなかったかもしれないけれど、僕にとっては、それが一番「自然」だったから。
もうひとつ気がついたことは、素直に自分を出したことで、僕は何も失わなかった、ということ。
自分が描いていたリーダーやオーナーの「あるべき姿」を捨てたけれど、僕は変わらずリーダーであり、オーナーであり続けられたこと。
それは「立場上」の話ではなく、気持ちの面で。
立場関係ではなく、人と人としてスタッフのみんなと向き合うようになった。
よく話し、酒を酌み交わすようになったことで、時には酔いつぶれ、騒ぎ、取っ組み合いの喧嘩をし、数えきれない醜態と、失敗を、みんなの前に晒すハメにはなったけど・・・・それは僕が最初に描いていた「かっこいいリーダ像」とは程遠い、なんとも情けない、欠点だらけの人間像ではあったけど・・・でも、それと引き換えに、僕はすごく「楽」になったんだと思う。
そして、そんな失敗を繰り返しているうちに「ま、これが俺なんだな」と、素直に思えるようになったのかもしれない・・・というか、受け入れざるを得なかったというか・・・
手放すことで、失うことと、失わないことがある。
今までは、手放せば手放すほど、失うと思っていた。
今までは、自分を晒せば晒すほど、苦しくなると思っていた。
でも、実際はそうじゃなかった。
「らしさ」や「立場」を手放してみたら、そこに残った「自分」のことがよく見えてきた。それで「楽」になった。本当の意味で「自分」いられるようになった。
自分の良い面と悪い面をみんなに晒してみたら(自分の意思とは関係ないことが多かったけれど・・・)、結局そこにも「自分」だけが残ってた。だって、晒してしまったことで、「らしく」なんて、言ってられなくなってしまったから・・・笑
「らしく」という言葉は言い換えれば自分の心の中の「隠し事」や「ウソ」みたいなもんだ。
恋愛でもなんでも、相手と自分との間に「隠し事」や「ウソ」が増えれば増えるほど、相手との距離感は遠ざかる。
「小さな隠し事やウソ」も、それを隠すために繰り返し塗り重ねられていくうちに、次第に大きくなって、いつしか自分自身を縛り付ける存在に変わるから。
自分が自分でいられなくなると、相手も自分も「楽/自然」でいられなくなるから。
だから、誰といる時でも「隠し事やウソ」はできるだけ少ないほうがいい。
小さい「芽」は早めに打ち明けて摘み取っておいたほうがいい。
「らしく」を手放し、「自分を晒す」ことは、失うモノよりも得るモノの方がずっと多いから。
そして、僕が、「欠点」を晒したことで、逆にチームは強くなった。
それは僕が「完璧なフリ」をやめたことで、欠点だらけの僕の「穴」がみんなに伝わったから。僕の穴がハッキリと見えたことで、みんながその穴をしっかりと埋めてくれるようになったから。
本人が素直に「欠点や苦手な部分」を晒してくれないと、伝えてくれないと、周りもそれを助けてあげることはできない。穴を埋めてあげることができない。
そこに年齢や立場の差があればなおさらだ。
でも、本人が素直に「ここが苦手だから助けて」と言えれば、埋められる。埋めてもらえる。
全てのことを一人で抱え、それを背負いきるリーダーも最高にカッコ良いけれど、僕には向いてなかった。
どちらがすごいとかじゃなく、ただ、それだけのこと。
「僕自身はそういう人間だった」。ただ、それだけのこと。
「らしく」を手放し、自分を「晒す」ことで、良い面も悪い面も含め「自分のリアル」がよく見えた。
「ありのままの自分の現状」が見えたことで、「自分が目指す素敵な自分」への作戦が立てられるようになった。
こういうところは良くないから、こうやって直していこう・・・
こういうところは良いところだから、このまま頑張っていこう・・・
もっと、こういうことができるようなったら最高だから、今度こうしてみよう・・・そうすればこんな素敵な自分になれるんじゃないか・・・?
よし、ミッションスタート!
そんなふうに。
スポーツでも受験勉強でも、仕事でも、「チームや自分のリアルな現状」をまずはしっかりと把握して、それに対して様々な補強をしたり、戦略を練ったりすると思うけど、自分の人生でもそれは同じことかなって思う。
自分のダメな部分をマジマジ見るのは、決して楽しいことばかりではないけれど、まずは「ありのままの自分」というその現状をリアルに受け止めることから始めないと、そこからどうやって「素敵な自分」を目指していくか?って、肝心のその「作戦」を練ることができないから。
今の自分が多少ダメダメだって、別にどってことないじゃないか。
だって、そこから成長すればいいだけの話なんだから。
落ち込めば成長するわけじゃない。目の前の問題が消えるわけじゃない。
だから落ち込む時間は最小限に。そのぶん成長する時間を最大限に。
さて、ここからどうやって素敵な人間になってやろうか・・・?
そんな風にいつも、ダメダメな自分と向き合いながら、自分自身に言い聞かせ、時には開き直って、今日も「素敵な自分」を目指して新たな作戦を練り、実行に移す毎日なのでありました・・・とさ。
さて、今日も頑張って元気にいきましょうか!